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着物を着たら、「得」をすることがいっぱい!

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着付けを教えていたり、着物を販売していて、そこで何を伝えたいかってことはいつも考えます。

着物を扱っているのだから、自分が教えた着付け、自分が売った着物で、そのひとがどのように感動し、幸せになり、どんな風に変わるかということ。

着物を着るようになったら、得をすることは間違いないので、それを皆さんに薦めたいと思っています。

着物を着たら、どうして「得」をするのか?

・自分が希少種になれる

例えば給料がいいひと、ギャラが高いひと、そういうひとたちは基本的に希少種だからです。もちろん、この場合、年功序列といった古い慣習でただ勤続年数が長いだけで給料が高いという事例は除きます。

そして、給料が安い仕事、フリーランスでも報酬が低い仕事は、希少種ではなく、その仕事が誰でもできるとか、その代わりがいくらでもいるというものです。

スーパーのレジ打ち、コンビニの店員、こうした仕事は時給が上がらないのは、その仕事内容がほぼ誰でもできるからであって、辞めてもその代わりはいるからです。立ち仕事で脚が痛いし、誰でもできない、という主張は意味が違っていて、仕事内容が能力的に誰でもできるという意味です。

フリーランスでもクラウドワークスのようにウェブやデザインの専門スキルであっても、同じようなスキルを持ったひとが多い職種なので、注文の取り合いになって結果的に報酬を下げ合うことになります。

一方、希少種は、わかりやすく言えば芸術家や代替の利かないとんでもない能力と才能の持ち主であって、そのひとでなければできないというひとたちです。

通訳と一口で言っても、旅行ガイドをする程度のものと国連で同時通訳する能力は異なります。海外でお土産物売り場を案内するくらいの通訳なら代わりはいくらでもいます。ところが国連クラスの同時通訳となるとそうはいかない。

つまり、自分が希少種になったほうが明らかに「得」なわけで、今、日本では着物を自分で着られて、着こなすことができるひとは希少種なのだから、これは得をします。

・他者と差があるところに価値がある!

何か買い物をするとき、それが価値あるものかどうかを考えればわかります。レアな品物はどうして値段が高く、価値があるのか? それは他者が容易に持ち得ないものであるからです。それを持つことによって他者との差が生まれます。

限定商品が魅力的なのはそこであって、手にすることが少ないからこそ、多くのそれを持てぬひととの差が生じ、魅力となります。

世間では着物を着られないひとの数が圧倒的なのだから、着物を着るだけで他者と差をつけることができます。

他者の目を気にして横並びで生きることから抜け出せないひとは、その生き方そのものが希少種になり得ないので話は通じません。

ともかく、自分が価値あるものになろうというなら、他者とどこかで差をつける必要があります。

・良質な差であるから着物がいい!

差というと非常にいやらしいものに聞こえますが、着物でつける差はとても良質なものです。

なぜなら、美しいから。

いえ、美しくない着物もたくさんあるので、ここでは着物としてちゃんと作られて、品質がいいものが前提の話です。

着物の美しさは、いい意味での抑制があるところです。洋装のドレスなどはその逆の発想でいかに美しく発散させるかにコンセプトがあります。ところが着物はいかに抑制し、そして抑制しながら美しさを「漂わせる」という作りです。

着物は礼節的な美であり、だからこそ相手にいい印象を与え、押し付けがましくない。

発散的なものによる差であれば憎まれるところが、着物は抑制的であるがためにひとから愛される。

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・着付けがあるから嫉妬されない

洋服だと値の張るものばかり着ていたら嫉妬されるでしょう。ところが着物は着付けがあるからそれがありません。着付けというひとつのテクニックを習得しているからで、それは誰にでもできるものでないからです。

着付けを身につけたことは努力の裏付けであり、それを成し遂げたひとは嫉妬されないものです。それは尊敬に近いものかもしれないし、「自分には無理だわ」と相手が思えば嫉妬は生まれません。洋服が嫉妬されるのは、着るプロセスが簡単で誰でもできるからです。

価値あるものを世間は大事に扱う

何でもいいですが、希少で、価値あるものを手に入れたらそれを大事に扱うものです。それは社会も同じであって、着物を身にまとう希少なひとのことを大事に扱います。

わかりやすいのは飲食店で、誰でも着ているような洋服で行くときと着物で行くときとでは扱いが異なります。

それは着物そのものの値段が高いから、万が一の粗相があって汚したら大変という現実的な意味もあるし、でもそれ以前に抑制美から漂う奥行きが大事に扱いたいという気分にさせます。

また、店のほうとしてもだらしのない服を着たお客さんがくるよりも、着物のひとがいてくれる方が店の印象が良くなり嬉しいものです。上客が与えるイメージは大事なので、店の格が上がりますから。

・人間関係が変わってくる!

「いい男がいない」「結婚できない」といった話はいつの時代にもありますが、それは自分が望む相手と自分とのステージが異なるところから生じるものです。

いい相手を出会うには、自分がその相手と同じステージにいないと無理です。

スポーツで考えるとわかりやすいですが、ボクサーが世界チャンピオンと対戦したいと思っても、対戦するには自分がタイトルマッチのステージに立てる力がないと会ってももらえません。

しかし、着物を着ていると、希少な価値ある人間になり、人間関係が変わってきます。着物の美しさを理解するひとは文化的な目があることが多いので、人間的に優れたひとも多い。

着物を通して、そういうコミュニティに参加できるきっかけにもなるし、周囲が、

「あの人は、着物をよく着ている」

とわかりやすいイメージを抱いてくれます。それはとてもいいイメージであって、悪く見られることではありません。

そうなってくると人間関係そのものが変わってくるのです。着物と同様な上質な人間関係。

・着物というキャラクターを手に入れる

着物を着られるひとという周囲からの認知は、着物を着るひとというキャラクターを手に入れたことになります。

抑制的な美しさがあり、押し付けがましくなく、奥ゆかしさが漂うひと。

こうした認知を得ることこそ、運気を上向かせるものです。悪いイメージだと運気は下がりばかりですが。

・だからこそ、上質な着物を選ぶべき

着物にもいろいろある、というお話をしました。せっかく着物を着るというのに上質でないものだと効果ありません。

明るく、美しく、そして清潔なものを選びましょう。

そうすれば、驚くほど人生が変わります。

あなた自身が希少であること、そして価値があること。それを着物は手助けしてくれます。

日本人のほとんどが着なくなったからこそ、日本の文化である着物を着たほうがいい。自国のものをやるところに舶来かぶれのダサさがないのです。

あとはそれをやるか、やらないか、です。

着物が素敵だなと思ってはいても、それを行動にしないと無ですから。

思うだけなら誰でもできる。行動するひとが希少で価値があるというわけです。

どうぞ、ぜひ着物を着てみてください。

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